• Go Misawa

「いきなり店長」重圧と公開処刑

最終更新: 2019年9月27日



 


「会話」に目覚めた僕は、接客業の世界に入りました。 当時、流行っていた「サムライ」「Cool」といった雑誌に毎回連載されていた、ストリートブランドのセレクトショップに入社。 ここで「接客」の難しさと奥深さを学ぶ事になるのですが、まず初っ端で接客は「会話」が好きだからと言って簡単にできるものではない事に気付きます。

接客はまた別物。

更には個人売りの会社だったのです。 売上が上がらないと良く怒る割りに教育システムが無い会社だったため、学ぶ場所もなかった。

そのため、僕は先輩に話を聞きにいったり、独学で勉強してはお店で実践、を繰り返し少しずつ売上を上げていきました。 学びの成果もあって、売上が上がってきたところで、裏では人事異動が始まっていました。入社半年後の頃でした。 僕は「いきなり店長」を命じられたのです。 任せて貰えたのは嬉しいけど、ここからが地獄のような毎日が始まります。 毎朝のように、ドスのきいた声で 「売上取れるまで帰るなよ!」 「なんで取れてないんだよ!」 「遊んでんのか!売れよ」 こんな罵声を浴びせてきます。 ストレスと不安を押し付けられるような日々です。 そして休みの暇を与えてくれません。 ・売上が取れなければ道端で坊主 ・会議で社長は灰皿を投げてくる (今では考えられませんね) 正直、「明日会社に行きたくないなぁ」と何度も思いました。 今だからこそ言えますが、仮病で休んでしまった日もありました。 でもこんなところで諦めるわけにはいかない、僕には使命がある。

必ず昇進しなければならない。

とにかく必死でした。 しかし前述通り、教育システムはありません。 売上を上げないといけないし、スタッフをしっかり育てたい。 どうしよう、、、、 僕はここで「100人友達を作る宣言」の時と同じように行動し始めました。 他社の社長や店長に


「僕にマネジメントとVMDを教えて下さい!!」


と毎日頭を下げて学びを求めていきました。 他に方法が無かったのです。 一方、僕の周囲ではこんな噂が流れます。 「剛くんはたまたま店長になれたみたいだよ」 「知り合いのお店だったからもう店長になれたみたい」 当時21歳で、昔から派手で遊び呆けていた僕が店長になる事は想像できなかったのでしょうか。


しかし何とも思わなかった。 同級生とも仲良く遊んでいたが、その頃僕は5歳くらい年上の先輩達と良く一緒にいた。良い事も悪い事も一緒に経験させて貰い、視点と器が広がっているのを感じていた。周りがどうこう言おうと気にならなかった。 毎日お店の事を考えていた。 ・お店の売上を上げるため ・お客様により喜んで貰うため ・スタッフがより楽しく仕事ができるため 時には、休館の中1人で作業する事もあった。 年越し直前まで働く事もあった。 その積み重ねと闘いの末、3つの良い出来事が起こった。 1つは 過去最高の売上を叩く事が出来た 2つ目は GMと社長と常に関われる、ヘッドショップ原宿の店長を命じられた 3つ目は スタッフに「三澤さんがいたから続けました」と言って貰えた どれも最高の瞬間だった。 この瞬間瞬間のために頑張っていたんだと思う。 毎日恐怖を与えられ パワハラとモラハラのような現場 周囲には「運よく店長になれた人」と言われる 本当に乗り超えて良かった。 乗り超えられたのも、他社の社長や店長、先輩や応援してくれた沢山の仲間がいたからでした。僕にとっては全ての人がメンターでありコーチだったのです。 1人では負けて逃げてしまいそうな戦いに、「在り方と考え方」「具体的な戦術」を教えて貰う事で乗り超える事ができました。 昔「人前で喋る事が出来なかった少年」は、 原宿へ行き、 店長を経て、 エリアマネージャー、 人事、 バイヤー と様々な職種を経験し、僕はアパレル枠やストリートファッション枠で、雑誌「サムライ」「Cool」に連載して貰った。

続く

第5話 27歳でアルバイトから再スタートで「12憶のマネージャー」