• Go Misawa

初めての挫折「1位から谷底へ」

最終更新: 2019年9月27日



はじめに

原体験や過去の経験から成長が始まり

「見えない未来」があるから未来を創造する事で思考豊となる


ここでは筆者の原体験、その時の感情をオープンにしながら、当サイトに来られた皆さまに私の事を知って頂きながら、陰が生み出す陽の力はどんなものか?を分かり易くお伝えできるようにしております。失恋話やギャル男になった話などもございます、楽しみながらお読み頂ければ幸いです。


 



中学へ入学し、同じクラスの塚さんの誘いで僕は陸上部に入る事になった。 (後に彼は全国トップになる) 今の時代はもう少ないかもしれないが、僕は小学生の頃良くいた 「通年半袖半ズボン」のランニング少年。 特に長い距離を走るのが好きだったので、塚さんの熱意に便乗して半分勢いで入部した。 ちょうど、僕らの入部は新しいコーチの就任のタイミングでした。 「このコーチが教えた部は必ず全国へ行く」と言われていた有名なコーチと噂で聞いていました。 最初は「ふ~ん」としか思っていなかったのですが、後に僕らは全国へ行く事になります。 ・週6日のトレーニングと食事制限(間食NG) ・毎朝夕20キロ以上のラン ・元自衛官による筋トレ ・合宿では高地トレ、スキー場をラン ・実業団とトレーニング ・世界大会出場者とのトレーニング ゛鬼トレ゛でしたが、日々タイムが上がっていくのを実感しました。 そして、今思えば、コーチは私が今こうして人材教育コンサルや研修の中で教えている「目標設定の技術」をしっかりと僕ら陸上部に伝えていたのです。

〔コーチ流の目標設定〕

①「全国へ行くぞ。●年●月の○○大会だ」と具体的な期日と大会名 ②全国へ行くために必要なタイムの提示 ③今やるべき日々のトレーニング(トレーニングは日々「進化」していく) ④直近の大会と、そこで1位ではなく10位以内に入る事、などギリギリ難しそうだけど、いけそうなところを設定する 部活をやってきた人であれば、なんとなく理解して貰えるのではないでしょうか。 「コーチって凄い」今だからこそ感じます。 正直、記録が伸びたと言っても2年生までは表彰されたり、注目されるほどではなかった。陸上界で言えば、無名で誰に知られていない選手でした。 一方で、私を誘ってくれた塚さんは、短距離で入賞

表彰され県や他校にとって有名な選手に早くもなっていました。しかも塚さんは頭も良かったのです。加えてキャラクターも面白かったので、クラスでも人気者。パーフェクトでした。 純粋に「塚さんは凄いな、僕も勝ちたいけど、はたして゛僕なんかに゛できるのか?」心の中では少し弱気になっていた。 それでもコーチの言われるがまま、厳しいトレーニングと食事管理を続けました。

チップスなどお菓子は禁止 飲み物は野菜やフルーツジュース 炭酸は禁止 今考えればよく乗り超えたなと思いますが、当時を振り返ると「まったく苦」ではなかった。 ただ「走る事が好き」だった。 そして3年生となった春、最後の大会。 私は予選大会で県記録1位になり優勝した。 県でトップの記録だったため、自分の学校だけでなく他校の選手やコーチにも声を掛けられる程有名になっていた。 次の県大会では「優勝候補の三澤」そう言われていました。 そして大会アナウンスも「三澤」を強調してきます。 他校の有名な選手も私に声を掛けてきます。 ほとんどの人が初めまして。 自分でも、「トレーニングは順調だし、絶対優勝する」しかし一方でこんな感情も出てきていました 「これだけ期待されているんだから絶対答えなきゃ、コーチやみんなに県1位を見せなきゃ、有名な選手も僕と闘う事を楽しみにしてくれてるんだ」プレッシャーを抱えていたのです。 スタートして中盤、体が思うように動かないのです。

「苦しい、このままでは負ける」


転落した実際の県大会

そういう感情がグルグルぐるぐると回り、その感情は体をより重くし、1つ2つ3つ、、、と順位を落とし、ゴールした時は上位選手だけでなく沢山の後輩達にも抜かれていた。 スタート前「先輩に追いつきたい!」そんな事を言ってくれた初めて出会った他校の後輩にも抜かれていた。


結果、私は15位に転落してしまったのだ。 ゴール直後、 少し先にスタンバイしていたコーチのところまで一直線に歩み、私は先生の前で泣き崩れた。 初めての「敗退と挫折」。 私はしばらくその場から動く事ができなかった。 続く

追い打ちを掛ける「敗退の連鎖」