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追い打ちを掛ける「敗退の連鎖」

最終更新: 2019年9月27日


 

県大会で負けた僕は なんとか立ち直りトレーニングを再開した。 冬には全国駅伝大会(12月)が待っているからだ。 母校「裾花中学校」は駅伝大会予選で1位となり、全国駅伝大会へ出場、そして市長からの推薦により同年



「1998年長野オリンピック」聖火ランナーとして走らせて頂いたのだ。 物凄い経験と一緒に、長野県中の期待が僕らに注がれていた。

元気玉のようもの、みんなの沢山のエネルギーを貰う事ができた。 しかし、県大会後の僕の頭の中はまだ毎日ネガティブ状態を抜け出せずにいた。 「このまま記録が伸びなかったらどうしよう」 「全国大会に間に合わなかったらどうしようなんで僕だけこうならないといけないんだ未来を不安と恐怖でいっぱいにし、自分の事しか考える事が出来ていなかったのです。そんなネガティブな波動は体にも通じていったのでしょう。 タイムは戻らないどころか、日々落ちてしまっていったのです。 6月、7月、8月、9月、、、 タイムは戻らないまま冬を迎えます。 僕の3000m公式記録は 9分14秒 駅伝直前のタイムは 10分42秒 1分半以上も遅くなってしまったのです。 当時マネージャーで森下くんという同級生がいた。 彼は長距離として記録を残す事は出来なかったが、トレーニングは続け、マネージャーとして僕らのサポートを全力でしてくれていた。

記録取りや動画撮影。

ドリンクの準備やチームへの声掛け。

彼なしでは僕らも安心して走れない。 僕が県記録を作った時も、自分の事のように喜び、僕が負けた県大会でも「一緒に泣いてくれ」本当に彼の存在なく日々のトレーニングや大会へ挑む事はできなかった。

今でも感謝の気持ちを忘れません。 そんな彼と僕は全国駅伝大会、一週間前にこんな会話をします 三澤 「僕はタイムが上げる事ができなかった。このまま走ってもみんなに迷惑をかけてしまう。だから僕の変わりに、今までみんなと一緒に頑張ってきた森下くんに僕の変わりに走って欲しい!タイムは森下くんの方が僕より良いんだ!」 すると少し間をあけて

森下くん 「剛くん、嬉しいけどそれはできない。僕は剛くんが頑張ってきたのをずっと見てきた。練習前に自主トレで走ったり、食事管理を勉強したり」 「もう直近のタイムどうこうの話じゃないんだよ。俺は剛くんに走って欲しい。剛くんにしか2区は走れないよ!俺の分やみんなの分まで一緒に走ってよ!」 僕は駅伝では「華」と言われている「華の2区」を任されていたのだ。 走るしかない!もうそれだけだった。 そして当日 塚さんが1区だった。 (1話より※僕を陸上の世界へ導いてくれた友) 彼はトップで僕にタスキを持ってきた。

さすが塚さん。

当時、塚さんは2種目で全国1位3位、中距離を制した男だった。 彼が1位で持ってきた瞬間、鳥肌、嬉しさ、緊張、気持ち良さ、気合、不安、色んな感情が入り混じった。 全国駅伝は、アップダウンのある芝の上を走っていく。 2位3位、、、、 少しずつ抜かれていく。 やっぱり思うように走れない。 アップダウンのせいもあって、いつもより早い段階で体が重く動かなくなっていく。

「もうこのまま逃げ出したい」

そんな思いも過っていた。 ゴール直前に長めの坂がある。 なんとか走り続け、坂が見えてきた。 僕は既に12位になっていた。 体は重く、視界はぼやけていた。

寒さ、怠さ、体は硬直し、正直走っているのがぎりぎりの状態だった。 ふと坂の両端を見ていると、父の顔が見えた。 僕は泣きながらなんとか坂を駆け上がり、タスキを渡す事ができた。 僕は県大会に続き、また試合に負け、自分にも負けてしまったのだ。 もう帰りたい。 しかし、森下くんやみんなが声をかけてくれた。

「ありがとう」 一緒にここまで頑張ってくれて感謝の言葉をみんながかけてくれたのだ。 そしてコーチ 「良く走り切った!三澤のおかげでみんなはここまでこれたんだ。この経験は必ずお前を大きくする」 正直、半年間ずっと辛かったし悔しかった。 でもその経験は僕に必要な悔しさや挫折の経験だったのを、仲間やコーチが気づかせてくれました。 ・一緒に応援できる仲間 ・自分に教えを与えてくれるコーチ この2つはいくつになっても本当に必要だなと感じています。逆を言えば、これらが無いと常に不安を抱えたまま前に進めない自分になってしまう。 僕にとって、パートナーとして人のために動く現在の活動の「原点」の1つと言える物語です。

続く

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